牧馬(野馬)の水呑み場跡 ”滝の清水“

京成電鉄沿い、春日神社南側にある保存林 字“上猪堀込”の入り口に当たる所に、里の人が「滝の清水」とか「神社の池」といっている野馬の水呑み場跡がある。

これは「滝の清水」といって、昔からの“牧”の文化の史跡である。

現在は埋め立てられているが、三方を囲む土手垣があり、まだその雰囲気を残している。

当時の池の深さは浅かったが“青玉が立つ”程に豊かな水が湧き、谷側の土手のV字形の割れ目より余り水が谷津田字“谷坪”(“坪”は区割りの意味があるが、ここでは滝壺の当字であろう)へと流れ落ち花見川の本流へと合流している。

この池の水は、昔からどんな日照り続きでも涸れた事がなかったと伝えていた。

しかし大正13年に字“享保”(作新台東部)の木が伐採されて水量が減った。

池は初め円形をなしていた様だが、野馬里入りを防ぐため、元禄2年(1689)に三方を土手垣で囲むようにした。

そして、牧場を管理していた金ケ作役所(松戸市)は、牧内の水が日照りで涸れたとき、隣接する野付村々より2人ずつを日割りで動員して、この池の水所々に置かれた樽に運ばせて野馬に吞ませていた。

又、池底の砂を浚う作業も野付村農民の仕事であった。

水を呑みに来た馬は、江戸幕府が下野牧に放牧していた野馬で、日本古来から生殖している背丈1m20cmを標準とした小さな馬である。

近くに“牧”と関係が深い「野馬除土手」が残っている。

 

<資料>  文化七年 実籾村御公用控帳板書

 

花見川区長作町 河野達三氏 資料より