『春日神社』の由来 と『開有富』開墾記念碑
この神社は 健(たけ)佐賀(さが)足(たる)智(ちの)命(みこと)・伊波比(いわいぬ)主命(しのみこと)・天子(あめのこ)八根(やねの)命(みこと)・比売(ひめの)命(みこと)・健(たけ)御名方(みなかたの)命(みこと)・下照(したてる)姫(ひめの)命(みこと)を祀り、開墾の守護神社として信仰されています。
神社の創建は不承ですが、江戸時代に長作村農民が作新台東部(字享保(きょうほ))を新田開発し、享保15年(1730)石宮を建立、明治初期には同西部(字開(かい)有富(ゆうふ))を開墾して明治7年に社殿に替造しました。
大正元年(1912)に長作の諏訪神社に合祀され、昭和60年(1985)に作新台氏子中より現在の社殿に改築奉納されました。
開墾碑は明治2年(1869)の『勧農殖産の令』のもとに、耕地が不足していた長作農民が請願して作新台西部を開墾した時の記念碑です。
この開墾事業は江戸幕府の牧場『小金牧』であった野場の放牧地を開放しての開墾でしたので、牧から追われた野場やアラビア馬などが、明治6年に『習志野原』演習場となった地域に集められました。
そのためこの請願は容易に許可されず農民は生活に窮しました。
そして、長作村名主・中台武左衛門を中心とする6ケ村(花島・天戸・長作・三山・田喜野井・高津新田)による野場引払い嘆願運動に発展しました。死を覚悟の武左衛門の強訴により明治4年秋に許され開墾が成し遂げられました。その業績をたたえ明治12年(1879)に碑が建立されました。
なお、野馬は明治8年(1875)佐倉牧の三里塚(現在の成田空港)に移されました。
花見川区長作町 河野達二氏 資料より